『トゥルーマン・ショー』

(監督/ピーター・ウィアー、主演/ジム・キャリー、1999年米)


「トゥルーマン・ショー」とは、 この映画の中で進行する前代未聞のTV番組のこと。 番組ディレクターは「クリストフ」という人ですが、 冒頭のタイトルクレジットとおぼしきシーンで、この人、 映画のプロデューサーとしてもクレジットされているように見せられます。 実はこのクレジットはTV番組のゲストインタビューのテロップ。 わざと映画のソレと見間違うように構成されているような感じです。 まあ、かくも虚実が混沌と入り交じってくる作品ですね。 TV番組「トゥルーマン・ショー」のスタッフルームは 万里の長城に匹敵する巨大スタジオセットの二百何階にある、 「月」の中にあります。 「月」からの眺めは、小さな島に匹敵するスタジオセットの町並みを 隅々まで眺められそうです。 そのセットの中で、 子どもを欲していなかった母から生まれ、 テレビ局に養子として迎えられたトゥルーマンが、 家族や友達の中で「普通に」育てられ、生きていく様が 24時間休みなく、そのまま番組として世界中に放送されます。 彼は世界中のヒーローかつアイドルですが、 彼の人生がそのままTV番組になっており、 親も友達も連れ合いもみな「俳優」で、 すべては「演技」に過ぎないことを 知らないのは一人トゥルーマンだけという状況です。 トゥルーマンは自分の人生が捏造されたものであると気づき、 ヨットで逃亡を企てます。 ところが、この大航海には、 海がなだれ落ちていく滝でなく、 コンクリートの壁という"Point of no return"が待ち受けています。 「ゴン!」という音とともに、 ヨットの帆先はコンクリート壁にめり込みます。 ひび割れたコンクリートに描かれた青空、白雲がもの悲しい。 これではまるで「風呂屋のペンキ絵」です。 しかも、この「世界の果て」には、 ご丁寧に"Exit(出口)"への階段までついている。 人類は、科学技術により、 「世界」を地球の外にまで押し広げました。 月に降り立ったある宇宙飛行士は、 「月からは万里の長城が見えた」と証言しています。 「トゥルーマンショー」のセットが万里の長城に匹敵し、 「月」からそのセットのすべてが見えるという設定は、 まさにこの宇宙飛行士の証言へのアイロニーです。 つまり、科学技術が作り出した世界こそが、 トゥルーマンの人生を捏造している世界というわけです。 科学技術が作りだす世界が、 たとえ地球より広くて大きいものだとしても、 そこは「風呂屋のペンキ絵」が取り囲む、 安っぽいコンクリートが作り出す世界に過ぎない―― ――それが映画『トゥルーマン・ショー』のメッセージ。 『マトリックス』では、 CGやDVなど、科学技術がつくるリアリティに 人間が翻弄されることが(お約束として)警告されました。 でも、『マトリックス』が描くサイバーパンクな世界は あくまで科学技術に支えられてこそ作りうる世界です。 キアヌ・リーブスは、高々、科学技術界の救世主に過ぎません。 ピーター・ウィアーが『トゥルーマン・ショー』で描くのは、 「風呂屋のペンキ絵」的な科学技術の世界です。 人間が、神に成り代わって世界をクリエイトできると錯覚する事の滑稽さを ピーター・ウィアーは暴こうとしたのでしょうか。 CG/DVが描く派手な「大爆発」や「暴風雨」ではなく、 嵐の海に落ちたトゥルーマンが地味にヨットに這い上がってくるシーンに 湯船でそれを鑑賞していたオッサンと一緒になって 思わず手に力を入れて力んでしまうの何故でしょう。                       Kiwi


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